2008年12月12日金曜日

ギリシャの出来事に思う、政治学的に見た暴動の社会的な効用

ギリシャで起こっている暴動についてなのですが、私も空港閉鎖により、休暇の移動中に、アテネで足止めされました。アテネは神殿などの歴史的な建造物が見える大変美しい町ですので、皆さんも訪問されることをお薦めします。今回の事件は、警察官が15歳の少年を射殺したことから始まっていますが、不況による失業率の増大とか、貧富の差の拡大などが、暴動の背景にあるとされますが、事態はそんなに簡単ではないのです。

ギリシャの暴動、国外に飛び火
12月11日20時5分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081211-00000604-san-int
【パリ支局】警察官による少年射殺事件を発端としたギリシャの暴動は6日目の11日も小競り合いなどが続いた。フランス通信(AFP)によると、首都アテネの事件現場近くの大学では、若者約40人が警察隊に投石し、警察隊は催涙ガスを発射して応戦、3人を逮捕した。 暴動は同国外にも波及している。トルコのイスタンブールにあるギリシャの領事館には左派系グループによって赤ペンキがまかれ、モスクワやローマのギリシャ大使館には火炎瓶が投げつけられた。スペインやデンマークではデモが起き、計40人以上が逮捕された。

H KAΘHMEPINH (ギリシャの新聞メディア)
Rioting eases, government draws breath
Some skirmishes follow union rally
http://www.ekathimerini.com/4dcgi/_w_articles_politics_100002_11/12/2008_102938

欧州では移民の存在が社会的な問題となっており、移民系の住民の人口増加率の高さもあって、無視できない存在になってきています。それもそうなのですが、やはり貧富の差が生む社会的な不安感は、市内を歩くだけで感じることができます。特にギリシャの場合は、ユーロ圏の中でも最貧国といってもいい状態のなので、2004年のオリンピックに合わせて地下鉄などが近代的に整備された一方で、都市の中心部を一区画外れただけで、近代的とはいえない薄汚い建物が見えます。

とは言うものの、「暴力はいけない」という優等生的な回答はさておき、暴動が起きるということ自体が、権力側に対しての政治的なチェック・アンド・バランスになっている点は、否定できません。日本でも、年金問題に代表される将来への不安が言われて久しいですが、もしこれが普通の国だったら、暴動が起きると思うのです。でも暴動が継続的に起きれば、政府は最終的に屈服せざるを得ないともいうこができます。事態が早く好転するのです。 細川護熙内閣における非自民政権誕生からはや15年経っており、日本社会が失われた20年となっていることに、私は忸怩たる思いがあります。欧州で時折暴動が起こることに、私は権力と時には対峙してきた民主主義の歴史と、民度の高さを感じるのです(関連して山口二郎氏のコラム「イギリスに見るチェックアンドバランスの巧みさ」2005年4月7日も参照)。

別の例では、例えば某会社の株主総会で、社外取締役が経営陣(というより引退したはずの名誉会長)に、友達だからという理由で年間1000万円の報酬で買収されており、世襲以外になんらとりえのない社長(シリコンバレーで計画性のない投資で数十億の損失を出し、最近1500億円の損失を出した)が理不尽に株主総会を打ち切ろうとした時に、大損した株主から暴力的に糾弾されたとします。そしたら三流以下の企業統治は、さすがに変わらざるをえないでしょう。

物事が早く変わるということこそが、政治学的に見たときの、暴動の社会的な意味での効用なのです。

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