2009年2月1日日曜日

柿沢弘治氏死去について思う

柿沢弘治氏(元外務大臣:羽田内閣時)の死去について、私は下町にルーツ(のひとつ)がありますので、「下町のケネディー」と自称していた柿沢氏については、ある種の特別の思いがあります。大蔵官僚出身の政治家としては、若干異色だったかなというのが、振り返っての思い出です。ご冥福をお祈りします。

柿沢弘治元外相が死去
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090127-OYT1T00694.htm?from=navr

 元外相の柿沢弘治(かきざわ・こうじ)氏が27日午前、食道がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。
 密葬は近親者で行い、お別れの会を3月1日午前11時、東京都中央区日本橋蠣殻町2の1の1ロイヤルパークホテル3階ロイヤルホールで開く。喪主は長男、未途(みと)氏。
 柿沢氏は旧大蔵省出身。1977年に旧新自由クラブから参院選東京選挙区に出馬し、初当選。80年に衆院に転じ、連続当選7回。
 94年4月に自民党を離党し、自由党(当時)を結党して党首に就任。直後に発足した羽田内閣に外相として初入閣した。95年に自民党に復党したが、99年の東京都知事選に党の方針に反して出馬し、同党を除名された。2003年衆院選で落選し、政界を引退していた。
(2009年1月27日20時42分 読売新聞)

0 件のコメント:

コメントを投稿